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補巻2 1848年-1849年
ロシア語版第43巻の序文 | ||
ME | 『新ライン新聞』の諸論文(1848年6月3日-1849年5月17日) | 3 |
(6月) | ||
ソネヴェド半島におけるドイツ軍の敗北 | 5 | |
合併問題 | 7 | |
カンプハウゼン内閣の瓦解 | 8 | |
ライヒェンスベルガー | 9 | |
(7月) | ||
休戦の「交渉」 | 10 | |
デンマークとの休戦交渉の断絶 | 11 | |
(8月) | ||
雑 | 12 | |
ミラノからの報告 | 12 | |
ゴットシャルク博士 | 14 | |
デンマークとの休戦とハンゼマン | 15 | |
カルロ・アルベルトの裏切り | 16 | |
シャッパー追放の試み | 17 | |
ガイガーとシャッパー | 20 | |
(9月) | ||
論説『左派の財政計画』への編集部注 | 21 | |
彼の後継者たち | 22 | |
逮捕 | 22 | |
軍命令──選挙の候補者──プロイセンの二心についての半官的批評 | 23 | |
休戦についての『フェドレランデット』紙の所説 | 25 | |
ケルン治安委員会の任務と地方権力 | 27 | |
初級裁判所検事ヘッカーとその手下たち | 28 | |
ケルンの反革命 | 29 | |
モル逮捕の試み | 30 | |
(10月) | ||
「模範国家」からの最新情報 | 31 | |
(11月) | ||
わがブルジョアジーとニュッケル博士 | 34 | |
ヴィーンからのニュース | 35 | |
ベルリン国民議会の決定 | 36 | |
スイス議会の会議 | 38 | |
納税拒否と農村 | 39 | |
スイスからの情報 | 41 | |
国民会議選挙の結果 | 41 | |
選挙─―ジード | 42 | |
国民議会の左派の立場について | 45 | |
国民会議における討議 | 46 | |
ラヴォーの退官――スイス国領土の侵犯 | 47 | |
連邦参事会と全州会議の会議 | 48 | |
両会議の合同会議─―連邦参事会 | 49 | |
(12月) | ||
国民会議の会議─―全州会議──教皇の抗議――ドイツ国の穀物輸出禁止――ヴァレ州大評議会 | 50 | |
国民会議の会合 | 53 | |
手紙の開封 | 53 | |
ベルンはスイス連邦の首都と宣言された──フランシーニ | 54 | |
スイスからのさまざまのニュース | 55 | |
ベルクとルヴィーニの決闘 | 56 | |
ドイツ国境の閉鎖─―ドイツ国―─軍事顧問 | 57 | |
連邦政府と外国大使─―ティチーノ州の連邦政府代表――郵便の中央集権化─―ドイツ国軍司令官の謝罪 | 60 | |
ヴィーンにおけるオーストリア軍の「英雄的行為」についてのスイス人の証言 | 61 | |
ドイツ人亡命者にたいする措置 | 64 | |
ウルスラ会女子修道院――砲弾王のための募兵─―「市民共同体」──一般関税率委員会 | 65 | |
ドリガルスキの更迭 | 67 | |
ドイツ人亡命者にたいする諸措置─―ティチーノからの軍隊の引き揚げ──義勇兵団体 | 68 | |
(1月) | ||
スイス=イタリア問題 | 70 | |
ミュラー氏――ティチーノ州にたいするラデツキの非難―─連邦参事会――ローバウアー | 72 | |
最後の義勇兵 | 75 | |
予算 | 75 | |
司祭の反乱 | 76 | |
保護関税支持の煽動――ナポリ軍の募兵 | 77 | |
ミュラー──フリブール州政府――オクセンバイン | 78 | |
エンゲルス大佐の回答 | 80 | |
(2月) | ||
ハンガリーにおける戦闘 | 81 | |
バナートより | 86 | |
軍公報第19号とそれへの注釈 | 88 | |
戦争─―政府と南スラヴ人との反目 | 92 | |
ハンガリーの戦争 | 95 | |
戦場から | 99 | |
三つ星・対・三角形 | 100 | |
軍公報第22号 | 101 | |
ハンガリーのクロアチア人とスロヴァキア人 | 106 | |
皇帝=国王軍の戦術 | 109 | |
ヴィンディシュグレーツ──ユダヤ人と南スラヴ人 | 111 | |
軍公報第23号――戦場から | 114 | |
マジャール軍についての詳細―─タイス河畔の勝利──オーストリア軍の残虐性――軍事行動の概観 | 118 | |
ふたたびマジャール軍について | 122 | |
ジーベンビュルゲンの口シア軍 | 124 | |
ロシア軍の侵入─―セルビア人――オーストリア軍の展望―─戦場から | 133 | |
(3月) | ||
ジーベンビュルゲンとハンガリーの戦場から | 138 | |
ヨーロッパ戦争の不可避性 | 144 | |
戦場から | 145 | |
ハンガリーの戦争 | 150 | |
ハンガリーの戦場から | 155 | |
ラサールにたいする訴訟 | 158 | |
マジャール軍の勝利 | 161 | |
戦場から | 166 | |
『ケルン新聞』の戦況報告 | 170 | |
オーストリア軍司令部公報第26号 | 176 | |
戦場から | 179 | |
軍公報第27号――戦況報告 | 182 | |
戦場から | 188 | |
アウクスブルクの『アルゲマイネ・ツァイトゥング』のオーストリア通信 | 192 | |
戦場から | 195 | |
戦場から | 198 | |
模範共和国 | 200 | |
戦場から | 204 | |
戦場から | 205 | |
戦場から | 208 | |
戦場から | 209 | |
戦場から | 213 | |
戦場から | 221 | |
ハンガリーの戦況報告 | 224 | |
戦場から | 233 | |
戦場から | 235 | |
戦場から | 237 | |
戦場から | 238 | |
戦場から──セルビアにおける紛糾 | 238 | |
戦場 | 243 | |
イタリア.戦場から | 247 | |
戦場から | 249 | |
イタリア.戦場から | 255 | |
ハンガリーからの最新報告 | 258 | |
戦場から──ふたたびロシア軍 | 259 | |
(4月) | ||
戦場から | 260 | |
戦場から | 264 | |
戦場から | 268 | |
戦場から | 271 | |
南スラヴ人とオーストリア君主国 | 274 | |
ハンガリーの戦争 | 275 | |
戦場から | 281 | |
戦場から | 288 | |
戦場から──ハンガリー | 294 | |
オーストリア人の嘆き | 295 | |
戦場から | 298 | |
戦場から | 301 | |
戦場から─―ドイツ艦隊 | 302 | |
戦場から─―ヴィンディシュグレーツの欽定憲法解釈 | 304 | |
蜂起軍殲滅の偽りの噂 | 308 | |
マジャール軍の勝利 | 310 | |
マジャール軍の勝利 | 310 | |
オーストリア軍の敗北 | 313 | |
戦場から | 319 | |
議会の権能の無視─―マントイフェルに奉仕するスパイたち | 323 | |
戦場から | 324 | |
戦場から | 328 | |
戦場から──ブコヴィナの農民戦争 | 330 | |
エルケマン | 332 | |
戦場から | 333 | |
スロヴァキア人──いわゆるデンビニスキ戦況報告について | 336 | |
戦場から | 339 | |
郵便は未着 | 343 | |
新しいクロアチア=スラヴォニア=ダルマチア強盗国家 | 343 | |
戦場から | 347 | |
戦場から | 350 | |
戦場から | 353 | |
戦場から | 356 | |
ハンガリーにおける戦闘 | 357 | |
戦場から | 361 | |
ハンガリー軍の勝利 | 365 | |
戦場から | 367 | |
ハンガリー軍の成功――ヴィーンにおける騒動 | 369 | |
マジャール人の成功 | 370 | |
戦場から | 375 | |
(5月) | ||
戦場から | 380 | |
戦場から | 382 | |
戦場から | 383 | |
戦場から | 385 | |
南ドイツからの情報 | 388 | |
ハンガリーからの報道 | 389 | |
ハンガリーの状態 | 391 | |
戦場から | 393 | |
コシュートの宣言 | 394 | |
戦場から | 397 | |
革命の切迫 | 399 | |
エルバーフェルトの情勢 | 400 | |
戦場から | 402 | |
エルバーフェルトとデュッセルドルフの蜂起 | 403 | |
ごりっぱなシュヴァーンベック | 405 | |
〔遺稿から〕 | ||
M | ブリュッセル警察によるヴィルヘルム・ヴォルフの逮捕,虐待,追放についての覚え書 | 408 |
M | ゴットシャルクのためのたいまつ行列の禁止についての覚え書 | 409 |
M | 論文『ブルジョアジーと反革命』の下書断片 | 410 |
M | 『新ライン新聞』の裁判における弁論の準備草稿 | 411 |
E | オーストリアの軍事独裁について | 417 |
E | プロイセンにおける後備軍の動員について | 421 |
E | 訂正 | 423 |
〔補録〕 マルクスのベルギー追放にかんするベルギー王レオポル1世の勅令 | 428 | |
ベルギー追放にあたりマルクスにあたえられた通行許可証 | 429 | |
在パリ・ドイツ人労働者クラブの通知 | 430 | |
共産主義者同盟中央委員会の金銭出納領収書 | 431 | |
ケルン市民権の付与にかんするマルクスの請願 | 433 | |
ケルンの警部にたいするカール・マルクスの供述についての報告 | 434 | |
1848年8月4日,ケルン民主主義協会総会でのマルクスとエンゲルスの発言の報道 | 435 | |
警察長代理ガイガーへのマルクスの届け書 | 436 | |
1848年8月13日,ケルンにおける第1回ライン州民主主義者大会の冒頭会議でのエンゲルスの演説のメモ | 437 | |
1848年8月28日,ヴィーン民主主義協会におけるマルクスの演説についての報道 | 437 | |
1848年9月2日,ヴィーン第1労働者協会の会合でマルクスがおこなった賃労働と資本にかんする講演についての報道 | 439 | |
内務大臣キュールヴェッターのマルクスあて書簡 | 440 | |
『新ライン新聞』の責任発行人の通知 | 441 | |
エンゲルスのべルン州滞在許可およびドイツへの出立にかんする登録簿の記録 | 442 | |
1849年2月4日,ケルン労働者協会総会についての報道から | 443 | |
1849年2月15日,ケルン労働者協会委員会の会議議事録から | 443 | |
ケルン司令官エンゲルス大佐のライン州知事あて書簡 | 444 | |
マルクスのケルン追放にかんするケルンの王国県政府の内務大臣マントイフェルへの質問 | 445 | |
ゾーリンゲン民主主義協会からマルクス,フライリヒラート,エンゲルス,シャッパー,ヴォルフにあてた招待状 | 447 | |
内務大臣マントイフェルのライン州知事アイヒマンあて書簡およびマルクス追放にかんするケルン王国県政府への指令の写し | 448 | |
ケルン王国県政府のライン州知事アイヒマンあて書簡およびマルクス追放にかんする警察長への指令の写し | 449 | |
エルバーフェルトからのエンゲルスの追放について | 451 | |
マルクスの追放および『新ライン新聞』の発行停止にかんする民主主義的新聞と労働者新聞の反響 | 452 | |
ドイツ国民議会議員にたいする誹謗についての訴訟 | 456 | |
『新ケルン新聞』編集部より | 459 | |
マルクスのパリ追放にかんする政府指令についての警部の通知書 | 460 | |
政府による追放令の撤回を求めるマルクスの請願が拒否されたことについての警部の通知書 | 461 | |
〔注解〕 | 463 | |
〔付録〕 | ||
文献目録 | ||
A 引用または言及されているマルクス=エンゲルスの文献の目録 | ||
B マルクス=エンゲルスが引用または言及している他の著者の文献目録 | ||
C 資料 | ||
D 定期刊行物に発表された執筆者不明の論文および通信文 | ||
E 文学作品目録 | ||
F 定期刊行物目録 | ||
人名索引 | ||
地名索引 | ||
〔地図〕 | ||
1849年のハンガリーおよびジーベンビュルゲン | 450 |